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信州長野の旅と歴史
信州・東信の旅    小県郡長和町

長久保宿本陣
ながくぼじゅくほんじん
長野県小県郡(ちいさがたぐん)長和町長久保589
Tel 0268-68-0006 長和町観光協会


 長久保宿は、江戸板橋宿から27番目の宿場町です。笠取峠をくだったところにあり、最盛期には旅籠が50軒近くある比較的大きな宿場でした。この長久保宿の本陣は代々石合家が勤めてきました。4代目当主のもとには真田信繁(幸村)の娘が嫁いできています。
 現在の本陣の建物は寛永年間(1624-1643)に建てられたもので中山道の宿場町に現存する本陣の中で最古の建築です。嘉永3年(1850)の絵図によると上段之間ほか客室、茶之間、台所など22室が主要部分で、問屋場、代官詰所、高札場が併置され、御入門、御番所、御湯殿、雪隠、土蔵、馬屋などがあったようです。
 現在でも上段之間(御殿の間)や二之間、三之間、入側と共に古文書や高札、長久保宿史料などが残されています。長久保宿本陣は昭和53年(1978)に長和町指定有形文化財に指定されています。



松尾神社
まつおじんじゃ
長野県小県郡長和町長久保字宮所791
Tel 0268-68-0006 長和町観光協会


 松尾神社は旧郷社で、大山昨神(おおやまのくひのみこと)を祀っています。京都市にある官幣大社松尾神社の分霊を勧請し、酒造守護の神社として古来より酒造家の崇敬を受け遠くより参詣する人が多かったそうです。
 現在の本殿は万延元年(1860)に再建されたもので銅板葺きの一間社流造りです。棟梁は諏訪の宮大工、3代目立川和四郎富重です。本殿の欄間には龍がまきおこす波に亀が泳ぎ、鶴舞い込んでいる姿や、貫の木鼻には象の鼻など、見事な彫刻が施してあります。
 松尾神社は以前は長久保の町裏地籍の大欅の森にありましたが小学校の校庭の拡張のため昭和33年(1958)に現在地に遷座しました。松尾神社本殿は建築彫刻として貴重なことから昭和53年(1978)に長門町の有形文化財に指定されています。



和田宿本陣
わだじゅくほんじん
長野県小県郡長和町和田2854−1
Tel 0268-88−2348


 和田宿は中山道のなかで屈指の大宿でした。道中最大の難所である和田峠を控えているため、多くの旅人がこの和田宿に泊ったのです。今も旧道沿いには、往時の面影を残す家並などが散在しています。
 中山道和田宿本陣は文久元年(1861)3月の大火事で焼失しました。同年11月に皇女和宮が来られるということで直ぐに再建されました。
 明治維新後に宿場制度が廃止となり本陣の役割がなくなりました。座敷棟は丸子の龍願寺へ、座敷棟の正面にあった御入門は丸子の向陽院へとそれぞれ移築されました。
 居室棟は役場や農協事務所として使用されました。昭和59年(1984)に旧和田村役場庁舎の移転にともない解体されそうになりました。
 中山道の宿場町の中で数少ない本陣の遺構の1つとして評価され平成元年(1989)に再建、国指定史跡に指定されています。現在の御入門は同年の村制施行100年記念事業として再現されました。



信定寺
しんじょうじ
長野県小県郡長和町和田下町2657
Tel 0268-88-2735


 戦国時代武田信玄は信濃を攻め、和田城主の大井信定が討ち死にしました。信定寺は天文22年(1553)、大井信定の菩提を弔うため創建されました。
 徳川時代に入り、京都二条殿の祈願所として庇護され、日光東照宮を参拝する例幣使一行や諸大名は信定寺に参拝したそうです。
 江戸時代、14代活文禅師は信定寺に10年間住職を務めました。この後江戸、長崎に遊学、晩年は佐久間象山らが師と仰ぎました。本堂の本尊として安置されている「釈迦如来」は鎌倉時代末ころの作です。



八幡神社
はちまんじんじゃ
長野県小県郡長和町和田2576
Tel 0268-68-0006 長和町観光協会


 八幡神社は和田宿の守護三神「八幡」「熊野」「新海」の一つで、応神天皇を祀っています。かつて和田城主大井氏の居館の鬼門除けに造られたといわれています。
 境内には立派な土俵があり、樹齢350年の長和町保存樹木のけやきの横に茅葺き屋根の拝殿があります。拝殿と覆屋を併合させた入母屋造りの珍しい建物です。
 白木造りで一間社流造りの本殿は、間口1.7m、奥行き1.8mの大きさです。蟇又には巴紋が入っていて、妻の大瓶束が軍配団扇形となっているのが特徴です。18世紀前期の造立で、長和町の文化財に指定されています。



和田峠
わだとうげ
長野県小県郡長和町和田
TEl 0268-41-6123 長和町教育委員会


 和田峠は国道142号線とビーナスラインが交差する、標高1531mの峠です。古く石器時代には黒曜石の産地で、狩猟など使われた石鏃に利用されました。江戸末期、皇女和宮さまの行列、水戸天狗党の古戦場等など、歴史の舞台ともなっています。
 江戸時代には中仙道の随一の難所として多くの旅人達を悩まし、この峠あたりで果てる人馬は数しれなかったといわれています。現在、下諏訪と和田のあいだ六里(24km)には西餅屋、東餅屋待と呼ばれる茶屋やその跡が残っています。



不動滝
ふどうだき
長野県小県郡長和町大門茂沢川
Tel 0268-68-0006 長和町観光協会


 大門街道を走っていると不動滝の看板が見えます。車で山道を10分ほど登ると滝のようなコンクリートのダムみたいなものが見えてきます。
 ここの空き地に車を止めて歩いて15分ほどで不動滝に行くことができます。この滝は行者の滝とも呼ばれています。
 古くから修行の場でもあり、修行僧が滝に打たれたのでしょう。滝の前は広場になっていて、滝の脇には不動尊が祀られています。
 不動滝は、高さ10m・幅15m・落差16mの開けた滝です。丸みを帯びた岩を覆うように水が流れ落ちてきます。深い木立の間からの清らかな流れは、四季を通していろんな風景が楽しめます。



黒耀石体験ミュージアム
こくようせきたいけんみゅーじあむ
長野県小県郡長和町大門3670−3
Tel 0268-41-8050


 黒耀石体験ミュージアムはブランシュたかやまスキー場のすぐそばにあり、考古系の博物館です。隣には明治大学黒耀石研究センターなどもあります。ここは本州最大規模の黒耀石の原産地です。
 国史跡となっている星糞峠(ほしくそとうげ)の「黒耀石縄文鉱山」をはじめ、旧石器時代の鷹山遺跡群から出土した資料などが展示されています。本格的な体験型の博物館としても注目されており、黒耀石の石器づくりや勾玉づくりなど、20種類を超える体験ができます。



浪人塚
 元治元年(1864)11月20日、勤王の志を遂げようとする千人あまりの水戸浪士が和田峠を越えてきました。それを阻止するため高島、松本両藩の兵士がここで戦いました。
 水戸の浪士は武田耕雲斎を中心にした水戸天狗党でした。「和田嶺合戦百年祭之碑」が作られていました。


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