信州・南信の旅
茅野
諏訪大社上社前宮
すわたいしゃかみしゃまえみや
長野県茅野市宮川2030
Tel 0266-72-1606
諏訪大社上社前宮は上社本宮から東南に約1.5km、八ケ岳や諏訪平を一望する神原(ごうはら)にあります。本宮の祭神・建御名方神が諏訪に入り、最初に居を定めた場所で、諏訪大社4社の中で最初に建てられた諏訪信仰の発祥の地です。
境内の大半を占める広場の神原に、かつては大祝(おおほおり)の居館である神殿(ごうどの)の建物が建っていました。
諏訪大社では木や石などに降りる精霊として、ミシャクジ神を祀っていました。奉祀する神職の最高位を大祝と呼び、上社の大祝「諏訪氏」は祭神の子孫として、下社の大祝「金刺氏」は皇族の子孫としていました。
平安時代後期、諏訪・金刺の両氏が武力を持って大きな勢力となりました。祀られていた神もミシャクジから、上社は建御名方命、下社は八坂刀売命になりました。その後、金刺氏は戦国時代に入り滅亡し、上社の諏訪頼重は武田氏に滅ばされますが、頼重の従兄弟の頼忠の子・頼水が高島藩主になり、明治維新まで続きました。
神原では室町時代中期、大祝の居館が移されるまでは中心的な場所として多くの社殿が軒を連ねていました。諏訪大社上社の大祝職位式や大御立座神事など重要神事が全て前宮境内で行われました。大祝の居館が移されると多くの建物も消滅しました。本殿や内御玉殿、十間廊などの社殿は残り現在も粛々と神事が行われています。
内御玉殿(うちみたまでん)は諏訪明神の祖霊がやどるといわれる御神宝が安置されていた御殿です。神事があるたびに、内玉御殿の扉を開き、大祝が神事を行っていました。現在の社殿は伊勢神宮の用材を使って昭和7年(1932)に建てられました。以前の社殿は天正13年(1585)に造営された上社関係では最古の建造物でした。
諏訪大社上社前宮内御玉殿
二の鳥居の上にある十間廊は古くは神原廊と呼ばれていました。桁行10間、梁間3間、入母屋造りです。中世までは諏訪地域の政治や祭礼はこの場で行われ、現在でも上社で行われる神事のほとんどは、この建物で行われています。
諏訪大社上社前宮十間廊
拝殿は十間廊から50mほど離れた坂の上にあります。拝殿の横には神水である「水眼」と呼ばれる名水が流れています。木々に囲まれた妻入りの社殿で、周りには4本の御柱が建っています。社殿は伊勢神宮の用材を使って昭和7年(1932)に建てられました。拝殿の奥には墳墓があると伝えられています。
諏訪大社上社前宮拝殿
諏訪大社上社前宮の拝殿の背後には本殿があります。諏訪大社4社の中で唯一ある本殿です。諏訪神社で良く見られる流造ではなく、桁行4間梁間3間の切妻造りです。棟には鰹木を並べています。
諏訪大社上社前宮本殿
尖石縄文考古館
とがりいしじょうもんこうこかん
長野県茅野市豊平4734ー132
Tel 0266-76-2270
八ケ岳の西側、標高1000m余の緩斜面にある尖石遺跡は、約5千年前の縄文中期を代表する遺跡です。八ヶ岳には多くの縄文遺跡が発見されています。中でも 「尖石遺跡」 は学術的価値が高いとして国の特別史跡に指定されています。
この遺跡は、昭和初期から宮坂英弌氏が発掘調査を進め、日本で初めて縄文時代の集落研究が行われた遺跡であるといわれています。隣接する茅野市尖石縄文考古館では、国宝の土偶・縄文のビーナスや、重要文化財の土偶・仮面の女神などを展示しています。
平成12年(2000)7月に完成した 「新尖石縄文考古館」 を中心に、北に与助尾根遺跡、南に尖石遺跡があります。合わせて尖石遺跡と呼ぶこともあります。
館内には美的感覚の優れた「土偶」や、たくましい躍動感あふれる豪壮な土器や、黒曜石で作られた精巧な石器など、2000点余りの縄文時代の遺物を展示しています。
考古館所蔵の 「土偶」 で、「縄文のビーナス」 の愛称で親しまれる土偶は我国最古の国宝です。棚畑遺跡で出土されました。また、国の重要文化財に指定されている中ッ原遺跡出土の土偶の仮面の女神も有名です。
昭和14年(1939)から3年間発掘調査が行われ、多くの豪華な遺跡とともに100近い住居あとが発掘されました。まだ多数の遺構が残っていると考えられ、集落研究の上でも価値が高く、「特別史跡」に指定されたのです。
台地の南斜面に縄文時代に石斧を研いだあと のある「尖石さま(とがりいし)」と呼ばれる巨石があり、遺跡 の名前はこれに由来しています。
尖石さま
考古館前には、郷土の偉人坂本養川(1736-1801)の銅像が建てられています。養川は田沢村(現茅野市)に生まれ八ヶ岳山麓に水路を開削して開田しようと計画しました。10年間にわたり高島藩に願い出、天明5年(1785)許可になり、寛政12年(1800)までに約350町歩の開田を成しとげました。
坂本養川像
蓼科高原三井の森
「蓼科高原三井の森」は30年近くになります。雄大な八ヶ岳連峰のもとで成熟の別荘地として堂々とした風格を携えています。標高1100mで比較的低地のフラットな地形です。ゴルフ場も有名です。
乙事諏訪神社
おっことすわじんじゃ
長野県諏訪郡富士見町大字乙事5410
Tel 0266-62-9342 富士見町役場産業課
富士見町の乙事地区に建つ諏訪神社は、神社建築史上、とても珍しい本殿を持たない神社として建てられました。江戸時代の後期に勧請され、もともとは上社、下社が建立されたそうです。
太平洋戦争後、上社が焼失したため下社の本殿を上社へ合祀し、本殿を構えるようになりました。本殿の覆屋の前に建つ拝殿と幣殿は諏訪大社上社の幣拝殿だったものです。元和3年(1617)に棟梁・原五左衛門親成によって造られたもので、上社が改築された嘉永2年(1849)に移築されました。
拝殿は、三方向に縁高欄が設けられ、頭貫、台輪を入れ、実肘木付の三斗としています。桁行、梁間とも1間の向唐破風造りで銅板葺きです。元和3年(1617)に諏訪大社上社の幣拝殿として建立されています。諏訪神社造りという貴重な建築様式をもつ社殿で国の重要文化財に指定されています。
諏訪神社拝殿
幣殿は拝殿よりも床が一段高くなっており、棟門の前後に縁を張り、左右に脇障子を建てた形式になっています。正面には幣軸付き桟唐戸で、扉には花狭間を入れ、小脇壁、脇障子などに非常に細かく華麗な彫刻を彫り込んでいます。正面1間の切妻造りの銅板葺きで、拝殿と同じ時に造られていて、国の重要文化財に指定されています。
諏訪神社幣殿
幣殿の背後には、覆屋があり、内部に本殿があります。本殿は1間社、流造り、柿葺き、軒唐破風付で、文政2年(1819)に棟梁・小池佐兵衛泰定によって建てられています。
諏訪神社本殿
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