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信州長野の旅と歴史
長野の旅      塩尻市・高ボッチ高原

島崎家住宅
しまざきけじゅうたく
長野県塩尻市片丘8066−1
Tel 0263-52-3429


 島崎家は旧北熊井村の名主を務めた家柄です。島崎家住宅は元禄時代(17世紀後半)の農家でこの地方の典型的な造りです。桁行12.7m、梁間16.1m、切妻造り、妻入り、亜鉛鉄板葺きの本棟造りです。江戸時代初期頃から見られるこの地方に典型的な建造物で、簡素で力強い技法に特色があります。
 建物は南に面し、上手東から前へ座敷を突出させています。座敷を3部屋とるため1部屋が本体から突出しているのは珍しい例です。建物東側が居間や座敷になっていて、西側が馬屋を含んだ土間となっています。
 島崎家住宅は完成された本棟造りの古い例で、質、保存状態が良く、座敷まわりの意匠にも見るべきものがあります。昭和48年(1973)、島崎家住宅は国の重要文化財に指定されています。



小松家住宅
こまつけじゅうたく
長野県塩尻市片丘9038
Tel 0263-52-6171


 小松家は元亀3年(1572)にこの地に移り旧北熊井村の名主を勤めた旧家です。小松家住宅は元亀年間(1570-1573)に建てられ貞享年間と安永年間に増築した記録があるそうです。
 建物は東面し、桁行8間、梁間6間半、寄棟造り、茅葺きです。建築当初は片側に馬屋を含む広い土間があったようです。外壁に開口部が少なく、間仕切りが建具でなく壁を多用しています。
 小松家住宅建築年代がきわだって古く、この地方の民家祖型の一つで平面・構造など他に類例がありません。昭和48年(1973)、国指定重要文化財に指定されています。



堀内家住宅
ほりうちけじゅうたく
長野県塩尻市堀ノ内117
Tel 0263-52-0280 塩尻市役所社会教育課


 堀内家住宅は塩尻市街地から1km以上離れた旧塩尻宿の中心にあります。約千坪の敷地が旧中山道に南面し、正面に表門があり、敷地には板塀がめぐらしてあります。主屋は昭和48年(1973)に国の重要文化財に指定されています。
 堀内家は江戸時代、旧堀ノ内村の名主を勤めた豪農の家柄です。文化12年(1815)、隣村の下西条村の川上家の分家を この地に移築したのが始まりだと伝えられています。
 本棟造りの威風堂々とした大きな建物の構造は、桁行、梁間ともに約10間(18.4m)で、一部2階、切妻造り、妻入で、板葺き屋根は妻を正面に見せて、石が置かれています。棟に大きな雀おどりをのせています。
 間取りは表、中、裏の3ブロックに分けられ、表が座敷と土間、中はオエと土間、裏はうら座敷と幾つかの居住部屋となっています。日常生活のほとんどを、オエと土間で過ごしたようです。



高ボッチ高原
たかぼっちこうげん
長野県塩尻市片丘
Tel 0263-52-0280 塩尻市観光課


 高ボッチ高原は標高1665mの高ボッチ山のなだらかな傾斜に広がる牧草地帯です。塩尻市の東側に位置する、眺望の開けた高原で、天気が良ければ遠く富士山までもが見ることができます。
 夏でも平均気温20度前後と涼しく、6月はレンゲツツジ、すずらん、7月はニッコウキスゲ、ハクサンフウロ、コウリンカ、8月はマツムシ草などの高山植物が咲き乱れます。
 高ボッチ高原は360度の大パノラマが楽しめます。東に八ヶ岳・霧ヶ峰・南アルプス、眼下には諏訪湖、富士山が見え、西には北アルプス、松本平が一望できます。隣りの山は鉢伏山で、鉢を伏せたような丸まった感じの山です。
 「高ボッチ」という変わった名前は「ダイダラボッチ」の足跡といわれるくぼ地があるためについたそうです。ダイダラボッチは、日本の各地で伝承されている巨人です。山や湖沼を作ったとされ、元々は国づくりの神であったともいわれています。
 高原には高ボッチ高原自然保護センターがあります。高ボッチ高原についての花や蝶、動物などのパネルが展示されています。センター前にはミニ植物園があり、高原に咲いている花の名を知ることができます。
 例年8月の第1土曜日には「高ボッチ高原観光草競馬大会」が開催されます。標高1600mの競馬場は、もちろん日本一高い場所になります。県内外から競走馬、農耕馬、かわいいポニーなど80頭余りが参加して盛大に開催されます。



手塚家住宅(上問屋史料館)
てづかけじゅうたく(かみといやしりょうかん)
長野県塩尻市大字奈良井379
Tel 0264-34-3101


 手塚家は慶長7年(1602)から約270年間、幕府の定めた伝馬と人足を管理運用する問屋を勤め、天保年間からは庄屋も兼務しました。重要伝統的建造物群保存地区に選定されている塩尻市奈良井の宿場町を代表する町屋建築で、平成19年(2007)に手塚家の主屋、別棟座敷、土蔵が国の重要文化財に指定されました。
 中山道に面して建つ主屋と、後方に接続する別棟屋敷が天保11年(1840)に建てられています。主屋は1階に問屋業のための会所を設け、これとは別に、上客のための玄関と洗練された意匠を持つ座敷を備える問屋特有の造りになっています。
 主屋は桁行12.4m、梁間10.9m、2階建、切妻造り、鉄板葺きで、西面廊下と居室があります。別棟座敷は桁行9.9m、梁間15.9m、切妻造り、鉄板葺きで、西面廊下と厠があります。土蔵は桁行11.4m、梁間3.7m、2階建、切妻造り、鉄板葺きの土蔵造りです。
 手塚家住宅は上問屋史料館として内部を公開しています。明治天皇が使用した茶器など約300点余りの諸道具、100点余りの古文書、陶器、漆器、宿場の変遷のようすがうかがえる宿図などを展示しています。



大宝寺
だいほうじ
長野県塩尻市大字奈良井423
Tel 0264-34-3147


 大宝寺は奈良井宿にある臨済宗妙心寺派のお寺です。天正10年(1582)、当時の領主で木曽氏の一族にあたる奈良井義高が創建したと伝えられています。裏山には開基となった義高の墓があります。
 本堂裏にある庭園は享保年間(1716-1735)に作庭されたもので遠州流の名園といわれています。心字池を中心に蓬莱石や亀島を配置し、背後の山を借景にしています。
 境内にはキリシタン禁制時代のマリア地蔵があります。昭和7年(1932)に、地元の人が藪のなかになかば埋もれているところを掘り出したそうです。文禄2年(1593)に飯田城主となった京極高知はキリシタン大名だったので、高遠、塩尻、伊那地区にはキリシタンが多かったそうです。
マリア地蔵尊


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