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信州長野の旅と歴史
信州・坂井の旅    筑北村・麻績村

修那羅峠の石仏群
しゅならとうげのせきぶつぐん
長野県東筑摩郡筑北村坂井真田
Tel 0263-67-3810 修那羅山安宮神社


 修那羅峠は長野県の小県郡(ちいさがたぐん)青木村と東筑摩郡(ひがしちくまぐん)筑北村坂井との境にある峠です。修那羅峠は昔は安坂峠(あざか)と呼ばれていたそうです
 その峠から約20分ほど登った海抜1037mの所に舟窪山があり、そこに修那羅山安宮神社があります。
 安宮神社の周りには信者から奉納されたたくさんの石神仏が祀られいます。一番多い石仏は地蔵菩薩で50体ぐらいあるようです。
 これらの石仏は「修那羅峠の石仏群」として、わが国「民間信仰の縮図」の代表的なものの一つに挙げられています。その特異性と率直さから、全国的にも注目されています。
 江戸末期に修那羅大天武という人が修験場を開きました。雨乞いの法などで庶民の信仰を集め、安宮神社を造ったそうです。そして修那羅様の修那羅峠と呼ばれるようになったといいます。
 神仏混合の民間信仰が千体近くの石仏群を作り出しました。
 千体地蔵など日本人は千をつけるのが好きなようですが修那羅峠の石神仏は800体ぐらいのようです。高さもそれ程大きめではなく40cmぐらいの石神仏が多いようです。
 修那羅峠の石仏は子供への追善供養や子宝願望などさまざまです。1体ごとに異なった素朴さが感じられます。農民達自身が刻んだ石仏には、信仰心が込められています。

 



安宮神社
やすみやじんじゃ
長野県東筑摩郡筑北村坂井真田11572
Tel 0263-67-3810


 修那羅峠から約20分ほど登った海抜1037mの所に舟窪山があり、そこに修那羅山安宮神社があります。地元の人はショナラ様と呼んでいるそうです。
 江戸時代末期の安政年間に修那羅大天武という人がこの地で修験場を開きました。土地の人の熱望により雨乞いの法を修して信頼を得て、古くから鎮座する大国主命の社殿を修築して、安宮神社を造ったそうです。 
 この神社のまわりには800体の「修那羅峠の石仏群」が立ち並んでいます。これらの像は、修那羅大天武の信奉者や一帯の地域の人々が建立したものです。この地域特有の庶民信仰の形です。



神明宮
じんめいぐう
長野県東筑摩郡麻績村麻5583
Tel 0263-67-3241


 麻績村にある神明宮は伊勢神宮内宮の御厨鎮護の神社として創建されました。祭神は天照大神です。平安時代末期、この付近は麻績御厨と呼ばれる伊勢神宮の荘園でした。守護神として伊勢神宮内宮より勧請分社されたものです。
 仁科、矢原、会田にある神明宮とともに、麻績の神明宮の歴史は古く、平安時代から存在しました。境内には神楽殿と舞台があります。普通は兼用する場合が多いのですが、神事と娯楽と分けています。
 本殿、仮殿、拝殿、神楽殿、舞台が国の重要文化財に指定されています。老朽化で土台が腐ったり柱が傾いたりと傷みが激しくなっています。平成25年度(2013)から大規模改修に着手する予定になっています。

 天保11年(1840)に建てられた拝殿は石段の上にあります。桁行3間、梁間3間の切妻造りで、正面に格子扉が設けられています。彫刻や色彩などの装飾はなく、とても簡素な造りとなっています。拝殿は国の重要文化財に指定されています。
神明宮拝殿
 神明宮の本殿は拝殿の奥にあり、貞享元年(1684)、 大工の吉村勘之丞によって建てられました。桁行3間、梁間2間、銅板葺きの神明造りです。 背面以外の3面に縁を回し、脇障子が設けられています。本殿は国の重要文化財に指定されています。
神明宮本殿
 本殿の西側にある神明宮の仮殿は、桁行3間、梁間2間、銅板葺きの神明造りで、宝暦10年(1760)に建てられています。素木造りの簡素な建物です。独立して仮殿が建てられているのは長野県内では例がありません。仮殿は国の重要文化財に指定されています。
神明宮仮殿
 神明宮の神楽殿は、元禄11年(1698)に再建された建物です。舞殿として、拝殿の正面にあったものを天明3年(1783)に移築した建物です。神楽殿は国の重要文化財に指定されています。
神明宮神楽殿
 神明宮の二ノ鳥居をくぐってすぐ左手に舞台があります。天明3年(1783)に建立されました。近くには神楽殿も建てられています。神楽殿と舞台が両方あるのは極めて珍しいそうです。舞台は国の重要文化財に指定されています。
神明宮舞台
 神明宮の境内には県天然記念物の千年杉が立っています。樹高43m、樹周(目通り)7.5mで、推定樹齢約1000年とみられています。
神明宮大杉



岩殿寺大日堂
がんでんじだいにちどう
長野県東筑摩郡筑北村坂北仁熊
Tel 0263-66-4036 岩殿寺


 岩殿寺大日堂は筑北村にある富蔵山「岩殿寺」の塔頭の一つです。大日堂は本堂から北西に1kmほど離れた仁熊にあります。岩殿寺は嘉祥2年(849)慈覚大師の開基と伝えられ、信濃33番観音の第15番札所です。3月下旬には、大火生三昧火渡り護摩供養(火渡り)も行われます。
 かって岩殿寺は大小75社、12坊、4支院の大寺であったそうです。しかし度重なる火災により衰退し、国指定重要文化財の懸仏と大日如来、三所権現の神仏像の3体しか残っていないそうです。
 大日堂の本尊「大日如来像」は長野県下唯一の大日如来像です。仏像の作者は不明ですが鎌倉時代の作で運慶高足ではないかと推定されています。水晶の玉眼、嵌入桧の寄木造りです。
 本堂は寛永3年(1626)、寛文3年(1663)再建され、現在の堂宇は宝暦13年(1763)の再建です。仁王門は寛延3年(1750)の建立で仁王尊は同時代の作だといわれています。



差切峡
さしきりきょう
長野県東筑摩郡筑北村坂北赤松
Tel 0263-66-2223 坂北荘


 差切峡は筑北村と生坂村の境を流れる麻績川の渓谷です。奇岩怪石が連なり、春は山ツツジ、秋は紅葉が有名です。小川累層の硬い礫岩や砂岩の地層に麻積川がほぼ垂直に流れ込んだためにできた渓谷です。
 差切峡は長野自然百選に認定されていて奇岩が多く、洞穴や滝も見られます。ここ旧坂井村は、江戸時代の善光寺街道(北国西街道)の青柳宿のあったところでもあります。加藤犀水に「天工の差切る岩や秋の水」といわれた絶景の地です。

 冠着山に源を発する麻績川(おみがわ)がこの辺りでV字になり渓谷となっています。澄んだ水の流れの中に鯉・ウグイ・あぶらハヤ・オイカワ・カマカツ等の魚が生息しています。
大滝八潭
 近くに大滝八潭という滝があります。昔大蛇が住んでいたという伝説が残る滝です。滝に流れ落ちる水は渓谷の中に消えていきます。
大滝八潭


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