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諏訪大社
諏訪大社上社
すわたいしゃかみしゃ
諏訪大社は、男神の建御名方富命(タケミナカタノミコト)とその妻の八坂刀売命を祀り、下社と上社とに分かれています。そして上社は建御名方富命を、下社は女神の八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)を主祭神としています。
建御名方神は大国主命の第二子で古事記の大国主神の国譲りで、建御雷と力競べをした国神です。諏訪大社を本祠とする諏訪神社は全国に一万社あるそうです。鎌倉時代以降、軍神として、あるいは農耕神として信仰されたためだと思われます。
主に上社が狩猟神的で・下社が農耕神的だといわれております。江戸時代には、社嶺千五百石が与えられていました。諏訪大社は 上社と下社を合わせて一社を形作っているのです。
天孫降臨に際し天神の勅を奉じて国土を奉り、科野国の州羽(すわ)に退き、妃神八坂刀売神並びに御子神と共にこの地の農耕・機織をすすめられました。上社本宮の社殿は江戸時代後期に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
諏訪大社では、天下の奇祭と呼ばれている「御柱祭」があります。この勇壮な木落とし川越しの難事を経て、独特の木遣唄(きやりうた)を歌いながら奉仕されるのです。伐採から洩建(ひきたて)まですべて昔は人力でした。
御柱祭は、桓武天皇の御代から始まったと言われています。もちろん洩建は上社の山出しが四月の最初の寅・申の日の里洩(さとびき)は五月初めの寅・申の日の同じく前後二〜三日間で、下社は、上社の一週間遅れで行われるのです。
諏訪大社下社秋宮
すわたいしゃしもしゃあきのみや
諏訪郡下諏訪町5828
諏訪湖周辺にある4つの諏訪大社のなかで、もっともにぎわいをみせるのが、諏訪大社下社秋宮です。下社は春宮と秋宮の二社に分かれているのです。
下社の祭神である八坂刀売命は、二月から七月まで春宮に鎮座し、八月一日の御舟祭りで秋宮に遷座し、翌二月一日に春宮に帰座されるといわれています。つまり夏は春宮に、冬は秋宮に住まわれるのです。
根入りの杉
この杉の巨木は夜になるとイビキが聞こえるといわれています。また、この杉の木の落葉を煎じて子供に飲ませると、子供の夜泣きが止まる、皮を使った御守りを持たせると、夜泣きする子供がよく眠れるようになるなど、様々な伝承があり、下社七不思議の一つに数えられています。
昔から国家に変事がある時は唸りを発するともいわれています。この巨樹は夜には特に枝を下げ、布団を掛けて静かに寝ている様にも見えるので「寝入りの杉」だとか、杉の挿木に根が生えたものなので「根入りの杉」などと呼ばれているそうです。
諏訪大社下社秋宮には本殿がありません。ご神体は拝殿・御宝殿の奥のご神木「一位の木」です。拝殿中央に「御神鏡」が祀られています。
拝殿は神楽殿の奥にあり国宝二重楼門造りです。左右の建物は片拝殿です。安永10年(1781)初代立川和四郎富棟棟領が建造しました。奥にはお宝殿があります。
下社秋宮は、日本一大きい青銅製の狛犬や注連縄があります。また宝物殿には国の重要文化財の売神祝印ほか多くの貴重な宝物資料があります。
安永10年に建てられた幣拝殿・左右片拝殿、天保6年に建てられた神楽殿は、国の重要文化財に指定されています。
拝殿に向かって右側、一の御柱の奥のお社は、手前が稲荷社、真ん中がお諏訪さまの御子神を祀る若宮社、奥が皇大神宮社です。左側二の御柱近くにあるお社は、右から八坂社、加茂上下社、子安社及び鹿島社です。
子安社はお諏訪さまの御母神である高志沼河比売命(こしのぬなかわひめ)をお祀りしており、昔からお産の守り神と親しまれています。底の抜けた柄杓は、水がつかえず軽く出るように、お産も楽にすむようにと、安産を願い、また安産のお礼に奉納されたものです。
八幡社には近くにあった天満宮、貴船社御室社が合祀されています。時期には受験生親子の参拝で賑わうそうです。
諏訪大社下社春宮
諏訪郡下諏訪町193
神様は二月から七月まではこちらに来られます。大門通りからまっすぐ伸びる参道(車道)の途中に太鼓橋と呼ばれる室町時代の建立が残っています。これより中は殿様でも籠や馬から降りなければならない場所でした。
春宮参拝の折はこれより下乗下馬といわれたこの橋は元文年間(1730年代)に改修され、下社では最も古い建物です。現在この橋を通ることができるのは一年に二度の神行行事の神様がお乗りなった神輿だけとなっています。
鳥居をくぐると境内。秋宮より小ぶりの神楽殿の奥に、幣拝殿があり、瑞垣内に宝殿二棟があります。拝幣殿は1779(安永8)年竣工の柴宮長左衛門の名建築で、片拝殿とともに国の重要文化財に指定されています。
拝殿の両側に、太くて高い柱が立てられています。この拝殿、正式には「左右片拝殿」と呼ばれ、屋根が片切になっていて、秋宮のそれよりも幅が短くなっています。
「筒粥殿」という建物があります。毎年、1月14日の夜から、15日の早朝にかけて「筒粥神事」という独特の行事を行います。神職がその建物の中心にあるいろりを囲み、44本の葦筒を、米と小豆を混ぜた粥と一緒に一晩掛かって炊きこみ、葦筒44本のうち43本でその年の作物の豊凶を、残りの一本で世の中全般を占うものです。
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