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信州長野の旅と歴史
信州・御代田の旅    真楽寺

真楽寺
しんらくじ
長野県北佐久郡御代田町大字塩野142
Tel 0267-32-2056


 上田から軽井沢に通ずる浅間サンラインから一歩脇道を入ったところに浅間山真楽寺があります。用明天皇元年(586)の奈良時代に浅間山の噴火が鎮まることを祈願して建立されました。
 芽葺き屋根の仁王門の両側に安置された仁王像に見つめられながら門をくぐると、昼なお暗い杉木立に囲まれた参道となり、霊域に入り込んだことを実感させられます。右側には大沼の池があります。
 龍が頭をもたげて神秘な大沼の池は透きとおるような清い池です。「甲賀三郎の伝説」があります。諏訪の神様が人間であった時代に、大きな苦難に遭遇しながら、それをみごとに克服し信州で神として祀られました。
  その主人公は甲賀三郎といい、はからずも深い人穴におとし入れられ、地底の国々を遍歴した後、蛇体と変身して甲賀に帰国したという 不思議な物語なのです。
 この池には、聖徳太子が立ち寄られたおり、その成長の見事さに感心して引き寄せてご覧になられたという“七尋芹”の伝説もあるそうです。
 7月最終の土曜日に、御代田町最大のイベント「龍神まつり」が開催され、龍神伝説発祥の寺として、勇壮な龍神の舞を境内で見ることができます。
 境内には観音堂、鐘楼、本堂、厄除観音、三重の塔、子育て地蔵などががあります。右手には「むすぶよりはや歯にしみる清水かな」と刻まれた芭蕉句碑、樹齢千年の神台杉など香り高い歴史にふれることができます。
 境内西側の小高い丘には、高さ20mの日本一大きい子育地蔵菩薩が建っています。子供の安らかな成長と水子供養のため、昭和61年(1986)に建設されました。
 堂塔と樹木の美しさは格別です。テレビドラマのロケ地としてもしばしば使われています。また境内の桜も有名です。

 真楽寺の観音堂は寛文5年(1665)建立され、別名「厄除慈母観音堂」ともいわれています。 17世紀後半の様式で全体的に地方色のない標準的な様式で造られています。
真楽寺観音堂
 観音堂は梁間3間、桁行5間、撞木造り、銅板葺き(以前は茅葺きでした)です。正面には一間の向拝が配置され細部には唐獅子や象、龍などの彫刻が施されています。昭和41年(1966)に御代田町の有形文化財に指定されています。
真楽寺観音堂

 真楽寺の三重塔は高さが18mあり、慶長18年(1613)に火災により焼失後、寛延4年(1751)に再建された塔です。江戸時代中期の特徴を表しており、意匠は丁寧に造られています。長野県には三重塔が11あり、そのうち東信地方には7つの三重塔があります。国宝の大法寺、安楽寺、重要文化財の前山寺、信濃国分寺、新海三社神社、県宝の貞祥寺、そしてここ御代田町有形文化財の真楽寺の三重塔です。
真楽寺三重塔
 初層の1辺は12.5尺と中規模です。3層とも寸法の変化が少なく縁が高いなどの江戸時代に建立された三重塔の特徴をよく表しています。内部の須弥檀には春日厨子が納められており当時は大日如来が安置されていたそうです。
真楽寺三重塔

 真楽寺の神代杉は樹齢1千年以上といわれています。中央に割れ目が入り、中身がない感じです。そして下の大きな空洞が黒焦げなのです。文化13年(1816)の火災によるものだそうです。その際聖天堂も焼けそうになり、杉に聖天様がまたがったという伝説が伝えられています。内部には、蓮華を手にした石造菩薩坐像が安置されていました。
真楽寺神代杉

 源頼朝が浅間巻狩りの際、休息の為この地を訪れました。杖をついたところ、そのまま根付いたそうです。杖がそのまま大きく育った為、上下が逆のような姿になり「頼朝公の逆さ梅」と呼ばれるようになりました。
逆さ梅


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