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信州長野の旅と歴史
信州・南信の旅    伊那


もみじ湖
もみじこ
長野県上伊那郡箕輪町大字東箕輪 箕輪ダム
Tel 0265-79-6999 箕輪ダム管理事務所


 もみじ湖は、平成4年(1992)完成の箕輪ダムによって作られた人造湖です。箕輪ダムは、上伊那地方5市町村の水道水を供給しています。
 水源の水の保全の為、付近一体はもみじを主とする広葉樹林一万本が植林され、もみじ湖の名の由来になっています。
 こうした努力が認められ、国土庁が全国から選出する「水の郷百選」の一つに選ばれました。周辺には数多くの親水公園、キャンプ場、植物園、イベント広場などが整備され、訪れる人も多くなっています。
 湖の最上流部には一面のもみじの山が有り、今は小木ですが近い将来上伊那を代表する観光地になるといわれています。



 ダムの底に沈む地区に住む方が、湖を日本一のもみじの名所に」と願って、ダムが完成する前から、町に苗木を寄付したのです。
 その後、他の町民の方たちも植林に加わって今では約1万本のモミジが湖周辺を彩るようになったのです。



 これからも木の成長が楽しみな所です。紅葉がそろそろ見頃を迎える11月初めには、「箕輪ダムもみじ湖まつり」が開かれます。
 その際には温泉水を用いた1000人分の「みのわ温泉きのこ汁」も振舞われています。町内西部には、「みのわ温泉 ながたの湯」があり、南アルプスを見ながら温泉に入れます。



深妙寺
じんみょうじ
長野県伊那市西春近小出三区3160
Tel 0265-72-5070


 感応山深妙寺は権現山のふもと「小殿寺」に権現信仰(密教)の道場として平安時代に誕生しました。「あじさい寺」と呼ばれ、170種、2500株の県下最大規模のあじさいは本堂前から裏山に至る遊歩道の33体観音像に寄り添うように咲いています。
 深妙寺は鎌倉幕府重臣であった三位公入道開基の寺です。入道は伊那春近領の政所長官(地頭を指揮監督する役職)だった人です。伊那春近領に工藤犬房丸祐時が流罪になり深妙寺の密教に帰依し、本堂を再建されたと伝えられています。
 深妙寺の2000個の挽き石臼庭園は日本一といわれています。江戸時代から本堂前を中心に並べられていたそうです。この地方には使えなくなった石臼を奉納する習慣があったそうです。石臼は穀物を擦りつぶすことから、煩悩を消滅してくれると信じられているそうです。



番場原公園
箕輪町大字三日町
 箕輪町は南アルプスと中央アルプスに抱かれた長野県伊那谷の北部に位置する田園工業都市として発展している町です。運動場やテニスコートなど広い敷地に整備されています。駒ヶ岳もきれいに見えます。




美空ひばり歌の里
みそらひばりうたのさと
長野県上伊那郡箕輪町三日町2243
Tel 0265-79-1601


 緑に豊かな「美空ひばり歌の里」には資料館、歌碑・遺影碑のある自然文化園(花笠道中)があります。美空ひばり歌の里資料館には美空ひばりの写真パネル、衣装、レコードをはじめ、ゆかりの品が展示されています。
 「美空ひばり歌の里」はかつて美空ひばりの相談相手でもあった館長が自費で建てたものです。横の斜面は歌碑のある散策道「花笠道中」になっていて、春にはツツジが咲きそろいます。
 各地のひばりファンより贈られた公演のパンフレットや後援会機関紙、チケット、関連雑誌まで、芸一筋の道をしのぶ資料が所狭しと数多く展示されています。



飯島陣屋
いいじまじんや
長野県上伊那郡飯島町飯島2309ー1
Tel 0265-86-4212


 飯島陣屋は延宝5年(1677)、信濃国のうち、伊那谷にある幕府天領を治めるために設置されました。当時は代官が執務を執り行う本陣のほか、代官一家が住まうお屋敷、役人の住む官舎、長屋、納屋など付随する建物十数棟で構成されていました。飯島陣屋は伊那県庁跡でもあります。明治維新後は続いて伊那県庁として信濃を統治した記念すべき政庁跡なのです。 
 伊那県庁は明治元年(1868)新たに伊那県が置かれここが県庁になりましたが、明治4年(1871)廃藩置県に伴い、南信七郡と飛騨の一部が筑摩県に引き継がれました。そして飯島陣屋はその役目を終え、解体処分されました。



伊那部宿旧井澤家住宅
いなべじゅく きゅういざわけじゅうたく
長野県伊那市西町5597番地4
Tel 0265-74-8102


 伊那部宿は伊那街道の中で飯田城下と塩尻の中間に位置し、東は高遠城下、西は権兵衛峠を越え木曽に通ずる交通の要所でした。江戸中期には宿場は整備されて賑わったようです。旧井澤家は、伊那街道伊那部宿の最南端にあって、宿場全戸が全焼した天保11年(1840)、天保14年(1843)の2回の大火にただ1軒だけ類焼をまぶがれた宿場最古の建物です。
 宿場内で唯一の破風屋(大屋根・本棟造)で建坪も最大であった旧井澤家住宅は平成11年(1999)5月に伊那市有形文化財建造物に指定されました。



春日公園
かすがこうえん
長野県伊那市西町5949−1
Tel 0265-78-4111 伊那市観光協会


 春日公園は市街地西方の段丘上に位置する春日城址を中心とした約143ヘクタールの公園です。春日城跡は天文のはじめ平家の末流春日大和守重慶によって築城されたといわれています。重慶の子重親・重国兄弟は、武田信玄に反旗を翻したため、春日昌吉が城主になりました。
  天正10年(1582)、織田軍の信濃侵攻に伴い本城の高遠城とともわずかな守備兵で徹底抗戦を貫きました。城主春日河内守昌義は部下を引き連れ高遠城に入り、仁科五郎盛信と伴に善戦するも討死しました。
 高遠城落城後に春日城は火を放たれ落城、そのまま再建されることなく廃城となりました。本丸と二の丸の土塁だけが当時の名残を今日に伝えています。
 公園は3つの丘で成り、本丸、二の丸、三の丸という橋で行き来します。春日公園は小高い所にあるので、伊那市を一望することができ、南斜面前方に南アルプスの山並みが眺望できます。
 春日公園は約190本のヨシノザクラ・コヒガンザクラなど桜の名所としても名高い公園です。また2万本のツツジが植えられ、例年5月頃になると見事に咲き誇ります。
本丸橋

 公園内には伊那の勘太郎の石碑が建てられています。「伊那の勘太郎」は伊那谷を通行した水戸藩の勤王党「天狗党」を故郷に帰った勘太郎が手助けをするという義理と人情の痛快時代劇でした。
伊那の勘太郎石碑
 主演の長谷川一夫とその相手役山田五十鈴が熱演し、小畑実の歌う「勘太郎月夜唄」も空前の大ヒットとなりました。戦中戦後の股旅(またたび)映画シリーズの代表作でした。


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